全身を覆う黒っぽい毛と、大きな目。
サルに似ているのに、人間ほどの大きさで二本足で歩くという生き物――ヒバゴン。
その舞台は、遠い外国の密林ではなく、広島県の山あいです。
山道や畑で出会ったという話を読むと、もし自分の帰り道に現れたら、と想像したくなります。
ヒバゴンの物語には、目撃者の話だけでなく、写真や足形、役場の「類人猿相談係」まで登場します。
なぜ小さな町で、これほど大きな騒動になったのでしょうか。
まずは語り継がれる姿と、1970年の出会いから。
近年の目撃談や残された資料をたどり、後半でサル説などの正体候補を考えていきます。
ヒバゴンとは?広島の山里に現れた毛むくじゃらの生き物

大きな目、逆三角形の顔、人間ほどの背丈
目撃談をまとめた『webムー』の解説では、ヒバゴンは身長1.5〜1.6メートルほどとされ、黒に近い褐色の毛、大きな目、逆三角形の頭を持つ姿で紹介されています。
これは、見た人の話から浮かぶ姿です。
二本足で立つ毛むくじゃらの姿を、草むらの向こうに見つけたら。
人なのか、サルなのか、一瞬迷ってしまうかもしれません。
ヒバゴンの不思議さは、まったく見知らぬ怪物というより、身近なものに似ているのに、どこか違うところにあります。
「ヒバ」の名が残す、比婆の土地とのつながり
目撃騒動の中心は、広島県北部の旧比婆郡西城町、現在の庄原市西城町です。
フジテレビの回顧番組は、比婆郡にちなむ呼称として「ヒバゴン」を紹介しています。
ここでたどるのは、1970年の目撃騒動から、土地に語り継がれてきた物語です。
古代から「ヒバゴン」という名で伝わる妖怪というより、実際に何かを見たという人たちの体験が、山里の謎として残っています。
1970年7月20日、ダム近くで車の前を横切ったもの
初期の代表例は、西城町油木の六の原ダム付近での遭遇です。
後年の『webムー』の整理によると、7月20日午後8時ごろ、軽トラックで帰宅中の男性が、車の前を横切って山へ逃げる生き物を見ました。
大きさは子牛ほどだったとされています。
車の前に現れ、そのまま山へ消える。
帰宅途中という日常の場面だからこそ、その大きな影が何だったのか気になります。
7月23日、草刈り中に草むらから顔をのぞかせた生き物
同じ記事は、3日後の朝、草刈り中の男性が草むらの生き物と向き合った話も紹介しています。
サルだと思って追い払おうとしても動かず、男性は怖くなって家へ戻ったといいます。
最初から謎の生き物を探していたのではなく、仕事の途中で出会ってしまう。
そんなところにも、ヒバゴンの話が忘れがたい理由がありそうです。
二つの場面の細部は後年の解説に基づき、当時の証言原票との照合はできていません。
一方、7月20日・23日・30日の目撃が当時の新聞記事に記されていることは、次の図書館の調査記録から確認できます。
目撃した日と、新聞に載った日は違う
広島県立図書館の回答は、『中国新聞』1970年8月26日9面に、上記3日分の目撃を記した記事があるとしています。
9月にも関連記事が続きます。
| 掲載日 | 図書館の回答から分かる内容 | 縮刷版の所在 |
|---|---|---|
| 1970年8月26日 | 7月の3件の目撃を扱う報道 | 8月号・827ページ/9面 |
| 1970年9月4日 | 4人目の目撃者と大ザル説 | 9月号・111ページ/9面 |
| 1970年9月8日 | 5人目の目撃者と農作物被害 | 9月号・246ページ/県北版9面 |
本記事では新聞原紙を直接閲覧していません。
それでも、話題になった時期と、次に当たるべき紙面は特定できます。
「古い新聞に載ったらしい」で止まらず、資料を探し直せる手掛かりです。
ヒバゴンの写真はある?1974年の画像と足形の来歴

1974年8月、濁川町で撮られたという一枚
ヒバゴンには、1974年8月に庄原市濁川町で撮影されたとされる写真があります。
画像は『webムー』の解説記事で紹介されています。
ただし、撮影原版や当時の鑑定記録を、こちらで確認できたわけではありません。
記事中の「昭和49(1974)年」の写真説明が目印です。
転載の許諾を確認できていないため、画像は複製せず掲載元へ案内しています。
細かい日付にも注意が必要です。
同記事の写真説明は「8月15日」、新聞記事を整理した個人サイトの年表は「8月18日」と記載しています。
本記事では、元の撮影記録で照合できるまで1974年8月として扱います。
写真に期待したくなるのは、話の中の生き物を自分の目でも確かめられるかもしれないからです。
ただ、被写体の正体は、掲載画像と説明だけでは決められません。
撮影原版や当時の調査記録も、引き続き確かめたい資料です。
足跡の石こう型は残っている
写真とは別に、足跡を写し取った石こう型も話題になります。
2023年の現地取材記事は、庄原警察署で保管されていた型が西城町観光協会へ渡り、5月26日に披露されたと報じています。
同記事に登場する元担当職員の回想では、1970年10月の足跡は、採型前に人が触れて形が変わってしまいました。
その後、12月に吾妻山池の原で別の足跡が見つかり、採型したといいます。
最初の足跡と、後に採った足跡を一つの証拠として混ぜないことが大切です。
山の土に残ったくぼみが型になり、半世紀を超えて残る。
写真とはまた違う形で、当時の騒動に触れられる資料です。
ただし、警察署での保管は、未知の動物の足跡だという認定ではありません。
「類人猿相談係」は何をしていた?怪物騒動を受け止めた町役場

怪物の話に、役場の相談係まで登場する。
ヒバゴンが印象に残る理由の一つです。
ただ、名前の面白さだけでは、この窓口が必要になった事情を見落としてしまいます。
目撃情報を集め、住民と報道陣の間に立つ
テレビ新広島の2025年の取材によると、当時の窓口は情報収集と報道対応の一本化を目的としていました。
元職員の恵木剋行さんは、住民の話を真剣に聞くことの大切さを振り返っています。
不思議なものを見たとき、笑わずに話を聞いてくれる相手がいる。
そうした窓口があったことは、ヒバゴンをめぐる体験が記録に残るうえでも意味を持っていたのでしょう。
なお、設置年はテレビ新広島の記事が1970年、前述の個人年表が1971年4月としています。
正式な設置文書を未確認のため、本記事では1970年代の騒動に対応した窓口とし、正確な発足年月は断定しません。
2025年、備後西城駅に再び相談係の看板が登場
同局の報道では、2025年6月7日、備後西城駅に新たな相談係の看板が設置されました。
直前の約1年間に、観光協会へ少なくとも5件の目撃情報が寄せられたとしています。
一方、番組で紹介されたカメラ調査ではヒバゴンは写りませんでした。
件数は2025年6月の報道時点で受け付けた情報で、確認された動物の頭数や現在の累計ではありません。
それでも、半世紀前の怪物の名が、新しく寄せられた話をきっかけに再び聞かれるようになったのは気になるところです。
近年の目撃者は何を見たのか
近年の具体例として、『webムー』は2024年8月23日の目撃を取材しています。
西城町の男性が昼過ぎに自宅を出ると、畑で黒い大きなサルのようなものがしゃがんでいました。
声をかけると電気柵を越え、山へ逃げたといいます。
立ったときの大きさは、本人の推定で175センチほどでした。
この話は2025年4月に公開された取材記事に基づきます。
目撃者の詳しい住所は紹介しません。
また、1970年代の報告と、同じ種類・同じ個体だったとは確認されていません。
ヒバゴンの正体はサル?目撃談から言えること、まだ言えないこと

大ザル説は、騒動の当時からあった
サルの見間違いという説明は、後世になって初めて出てきたものではありません。
図書館が案内する1970年9月4日の新聞記事は、すでに大ザルの可能性を取り上げています。
この説が向き合うのは、サルを思わせる外見の目撃です。
ただ、候補に挙げられたことと、特定の目撃の正体がサルに決まったことは別。
距離、明るさ、姿を見た時間、大きさの見積もり方などを、個別に確かめる必要があります。
一方、目撃者が普段見ているサルと違うと感じたことも、記録から落とすべきではありません。
その証言をきちんと残し、何が違って見えたのかを調べることと、未知の種類だと結論することの間には、まだ作業が残っています。
クマ説や未知の類人猿説も、名前を当てはめるだけでは決まらない
正体候補としてはクマや未知の霊長類も語られています。
正体候補を取り上げた解説がありますが、ここではその推測を動物学的な鑑定結果としては扱いません。
クマなら体のどの特徴が一致するのか。
未知の霊長類なら、既知の動物と区別できる試料はあるのか。
「大きかった」「毛があった」という特徴だけで、答えを一つに絞るのは難しいところです。
正体が分からない目撃談があることと、未知の動物が実在することは同じではありません。
逆に、目撃談を一つ残らず同じ原因で説明できたとする資料も、今回の調査では確認していません。
残っている資料を、一つずつ読み分ける
| 資料 | たどれること | それだけでは決まらないこと |
|---|---|---|
| 目撃談・聞き取り | 見た人が語った姿や動き | 種類、正確な体長、他の目撃との同一性 |
| 1974年の写真の紹介 | 写真として流通する画像と掲載側の説明 | 撮影原版の来歴、被写体の同定 |
| 足形の石こう型 | 採型された形、保存や公開の経緯 | どの動物が残したか |
| 相談係の活動 | 地域が情報を集め、対応したこと | 行政による未知動物の実在認定 |
この表は、本記事で確認した資料の範囲を整理したものです。
写真や足跡を独自鑑定した結果ではありません。
まとめ:比婆の山に、まだ見知らぬ隣人がいるとしたら
ヒバゴンには、夜の山道、朝の草むら、昼の畑という、場面の違う目撃談があります。
そこに写真や足形、相談係の活動が重なり、単なる怪物の名前ではない地域の歴史になっています。
今の資料だけで正体を決めることはできません。
それでも、山へ逃げた大きな影や、畑で顔を合わせたという話は、単純な答えだけでは終わらない余韻を残します。
もし今も比婆の山に、人に知られず暮らす生き物がいたら。
次にその姿を見るのは、探検隊ではなく、いつもの道を歩く誰かかもしれません。
そんな想像を楽しみながら、新しい記録が何を教えてくれるのかを待ちたくなるUMAです。
参考資料と確認範囲
出典は本文の該当箇所にリンクしました。
主に、広島県立図書館の新聞所在調査、テレビ新広島・フジテレビの取材紹介、『webムー』の回顧・現地取材を参照しています。
個人作成の年表は、資料間の記載差を確かめるために使いました。
1970年の新聞原紙、1974年の写真原版、相談係の正式な設置文書、足形の鑑定書は未確認です。
当時の映像全編を視聴した記事ではありません。
歴史写真・足形写真の転載許諾も未取得のため、それぞれの掲載記事へ案内しています。
資料再確認日:2026年9月29日。

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